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忠犬ハチ公

  • 2025年3月8日
  • 読了時間: 3分

忠犬ハチ公について詳しくお話ししますね。ハチ公は、日本で最も有名な犬の一つであり、その忠義心の物語は国境を越えて多くの人々に感動を与えています。以下に、ハチ公の詳細を整理してご紹介します。


ハチ公の基本情報

名前 ハチ(後に「ハチ公」と呼ばれる)

犬種 秋田犬

生年月日 1923年11月10日

没年月日 1935年3月8日

出身地 秋田県大館市

飼い主 上野英三郎(東京帝国大学教授)


ハチ公の生涯


ハチ公は、秋田県で生まれ、1924年に上野英三郎に贈られ、東京で育てられました。上野は農業経済学の教授で、ハチ公を非常に可愛がっていました。ハチ公は毎日、上野が仕事に出かける際に渋谷駅まで見送り、夕方になると駅に戻って上野を待つ習慣がありました。このルーティンは近所の人々にも知られるようになり、ハチ公は愛される存在となりました。


しかし、1925年5月21日、上野が大学で講義中に脳溢血で急死してしまいます。享年53歳でした。ハチ公はこの時わずか1歳半ほどでしたが、その日から上野が帰ってくるのを待ち続けました。家族や周囲の人々が引き取ろうとしても、ハチ公は渋谷駅に通い続け、毎夕、上野の帰りを待つ姿が目撃されました。


忠義心の象徴


ハチ公はその後約10年間、1935年に亡くなるまでほぼ毎日渋谷駅に通い続けました。この忠義心が新聞で取り上げられ、特に1932年に「忠犬ハチ公」として記事になったことで全国的に有名に。ハチ公の姿は多くの人々の心を打ち、日本人の忠誠や忍耐の象徴として語り継がれるようになりました。


死とその後


ハチ公は1935年3月8日に11歳で亡くなりました。死因は老衰とフィラリア症による衰弱と考えられています。亡くなった場所は渋谷駅近くの路上でした。ハチ公の死は新聞で大きく報じられ、多くの人々が悲しみに暮れました。


ハチ公の遺体は剥製にされ、現在は東京・上野の国立科学博物館に展示されています。また、心臓や内臓は研究のために東京大学に保存されています。渋谷駅前にはハチ公の銅像が建てられ、現在も観光名所として多くの人が訪れています。最初の銅像は戦時中に金属供出で失われましたが、1948年に再建されました。


文化的影響


記念日

ハチ公の忠義を讃え、毎年4月8日に「ハチ公の日」が渋谷で記念されています(ただし、これは亡くなった3月8日ではなく、銅像建立に関連した日付)。


映画・書籍

ハチ公の物語は国内外で映画化され、特に2009年のリチャード・ギア主演の『HACHI 約束の犬』が有名です。


秋田犬の象徴

ハチ公の影響で秋田犬は忠誠心の強い犬種として世界的に知られるようになり、現在もその人気は続いています。


3月8日は、まさにハチ公が亡くなった日です。この日はハチ公の物語において重要な節目であり、彼の生涯が終わりを迎えた瞬間として記憶されています。


ハチ公の物語は、単なる犬の話ではなく、人間と動物の絆、そして変わらない愛情の力を示すものとして、今も語り継がれています。





 
 
 

1件のコメント

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Светлана
Светлана
6月30日

上野八重子著『忠犬ハチ公を悼んで:ハチ公の思い出』より 1935年3月、ハチ公の死後。 我が子のように育てたハチが亡くなったことを思うと、本当に悲しい気持ち

になります。しかし、天国で飼い主の傍らで安らかに眠っている姿を想像すると、きっと幸せに暮らしているだろうと思います。 安らかに眠るハチの姿を見ると、肩の荷が

下りたような気持ちになると同時に、胸に寂しさがこみ上げてきて、どうにも落ち着かないのです。 ハチは優しい犬でした。子犬の頃から病弱だったので、このような最期

を迎える姿を見ると、ハチへの愛着がさらに深まります。 ハチが1歳の時に長男が生まれ、ハチは赤ん坊にとても懐いたので、しばらくの間、一緒に家にいました。ハチは

息子が寝ているリビングに入ってきて、長時間気持ちよさそうに昼寝をしていました。息子にとても懐いていたので、時々一緒に寝かせてあげると、ハチは大喜びでした。

当時、しばらくの間リビングで寝かせていたこともありました。 これまでたくさんの犬を飼ってきましたが、ハチほど人間の感情を理解してくれ

る犬はいませんでした。 まるで人間の子どものように接していたからか、ハチはとても人間らしい犬に育ちました。「ハチって人間の匂いがするね」と、みんなよく笑って

いました。 2 ハチは体調が悪かったため、何をするにも大変な労力が必要でした。夫が生きていた頃は、最高の肉を選び、脂肪を丁寧に取り除き、1日に3回、牛乳を2

杯ずつと、お粥のようなライスプディングを、心を込めて用意していました。 ハチの病気は胃腸に影響を及ぼしていました。私たちはハチに生肉を与えていましたが、寄生

虫感染のリスクがあったため、乳児に行うように、月に2回、ご飯に精液(当時はセメネンという商品名で販売されていた、現代の駆虫薬サントニン)を混ぜて与えていまし

た。 ハチが我が家に来る前、私たちは秋田犬を4匹飼っていましたが、いずれも短命で、一番長生きした犬でも9ヶ月しか生きられませんでした(上野家の以前の犬は、フ

リッツ1世、フリッツ2世、フリッツ3世、タマ、ワイ、マル、ジャック、ゴロウ、S、タロウ2世、シロ、デコ、チビ、ケル、チイ、ロク、ジョン

!"S

、そしてハチ公でした)。 そのため、夫はハチの健康を守るためにあらゆる手を尽くし、できる限り長く生きられるように尽力しました。 ハチの病状は何度か死の淵に立

たされ、そのたびに私たちは恐怖を感じました。しかし、夫のたゆまぬ努力のおかげで、ハチは最終的にこれらの困難を乗り越えることができました。ハチが2歳くらいの頃

、元気になってきてとても嬉しかったのですが、その後、飼い主さんが突然亡くなってしまいました。 ハチの健康状態が悪化してしまったようでした。 しかし、ハチの健

康状態はその後も悪化の一途をたどり(1929年頃には重度の皮膚病を発症しました)、別の家族に譲った後も、私の心配は尽きませんでした。それでも、ハチが13歳ま

で生きてくれたことは本当に嬉しく思います。この事実は、ハチ公が上野家で特に愛されていたことを物語っています。上野教授が飼っていた多くの犬の中でも、ハチ公はひ

ときわ際立って愛されていたと言えるでしょう。坂野八重子さん自身もそう言っていました。本当でしょうか?

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