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秋田犬の日

7月31日(日) 秋田犬天然記念物指定の日

1931(昭和6)年7月31日、9頭の秋田犬が秋田犬あきたいぬとして国の天然記念物指定を受けたことを祝して制定された記念日。

秋田犬の祖先犬は、「秋田マタギ犬(岩手犬)」と呼ばれるマタギ犬である。秋田犬は近世には武士や豪農によって番犬として飼育されていた。江戸時代、出羽国北部の秋田地方は、佐竹氏(秋田藩)によって治められた。佐竹氏は関ヶ原の戦いでの日和見的な態度により、常陸国から転封された外様大名であり、江戸幕府によって藩内の築城や武力の向上が厳しく警戒された。このため慶長年間の1630年(寛永7年)頃より、藩士の闘志を養うためとして闘犬を奨励した。佐竹家では久保田城の佐竹宗家を中心として、一族の東家、西家、北家、南家を、それぞれ久保田城下、大館、角館、湯沢に配した。佐竹西家(小場家)の治める大館地方では特に闘犬が盛んとなり、体が大きく強い犬を望む人々の手によってマタギ犬と土着犬などの交配が行われ、秋田犬の原種となった。時代が移っても秋田の闘犬熱は衰えず、明治時代になると、他の地方の犬種や外国産の大型犬種との交配が積極的に行なわれるようになった。1897年(明治30年)頃からは、秋田と並んで闘犬の盛んであった高知県から土佐犬(四国犬)が入ってきており(その後、土佐犬は洋犬との交配で大型化する)、さらに日清戦争以降は、南樺太へ渡った人たちが持ち込んだ樺太犬や北海道犬も入っている。一方、洋犬種としては、まず大館に近い小坂銅山のドイツ人技師の飼い犬であったマスティフと思われる犬と、明治中期以降には、ジャーマン・シェパード・ドッグやグレート・デーンなどとの交配も行われた。これによって立耳、巻尾といったスピッツタイプ本来の特徴が失われた犬は旧来の秋田マタギに対して「新秋田」と呼ばれた。江戸、明治と盛んに行われた闘犬も、明治末の1908年(明治41年)に至り、社会的弊害に鑑みて、ついに秋田県下に闘犬禁止令が発令された。警視庁が闘犬・闘鶏・闘牛を全国で禁止するのが1916年(大正5年)7月26日のことであり、それに8年も先駆けての禁止令は、県下での白熱ぶりを偲ばせる。洋犬との雑化によるタイプの乱れに、闘犬禁止令、洋犬人気の高まりなどが重なって、秋田犬にとっては不遇の時代がしばらく続いた。

ウィキペディアより


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