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米の日と猫地蔵

  • 執筆者の写真: Takeshi Kimishima
    Takeshi Kimishima
  • 8月18日
  • 読了時間: 3分
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野良猫を粗末にしちゃあいけまへんよ。何より、わてらの米の守り神やからな。琵琶湖のほとりの里では、昔からその猫が米蔵を守ってくれたんやで。ネズミを追い払うその姿は、まるで神の使いやった。そやから、猫には優しくせなあかんし、感謝の心を忘れんようにせえへんとな。秋の収穫時、村人らが猫に魚や米を供えて、「ありがとう」と手を合わせる姿が今も目に浮かぶわ。ほんでな、猫地蔵として祀られたその魂は、今も田んぼを見守っとってくれるんやで…、



むかしむかし、滋賀の長浜のあたり、琵琶湖の水がキラキラと光る小さな村があった。この村はな、米作りで暮らしを立てておって、毎年秋になると黄金の稲穂が田んぼを埋め尽くした。村人たちはその米を大切に米蔵にしまい、冬の飢えをしのぐんじゃが、困ったことに、ネズミのやつらが米蔵に忍び込んで、米を食い荒らすんじゃ。いくら罠を仕掛けても、夜な夜な米蔵からガリガリと音が聞こえ、米俵はどんどん減っていく。村人たちは頭を抱え、夜も眠れんほど悩んでおった。


そんなある日のこと、村の外れに、どこからともなく一匹の野良猫がふらりと現れたんじゃ。毛は灰色に黒のしま模様、目はまるで琵琶湖の水面のようにつぶらで、鋭い光を放っとった。村人たちは最初、ただの野良猫かと気にも留めなんだが、この猫、夜になると米蔵の周りをうろつき、ネズミを次々と捕まえ始めた。まるで風の如く素早く、まるで湖の水の如く静かに、ネズミを一匹残らず仕留めていく。その姿は、まるで稲荷の神の使いのようじゃった。


村の長老、庄兵衛じいさんは言った。「この猫はただ者ではない。神さんが我々に遣わした米の守り神かもしれんぞ」と。それから、村人たちは猫に感謝し、毎日、魚の干物やおにぎりの欠片を供えた。猫もまた、村人たちを信頼したのか、米蔵の前で昼寝をしたり、子供たちとじゃれ合ったりするようになった。村は再び笑顔に溢れ、米蔵の米は減らなくなった。秋の収穫も豊かで、村人たちは「この猫のおかげじゃ」と口々に語り合った。


じゃが、月日は流れ、猫にも年老いる時が来た。ある静かな秋の夜、猫は米蔵の軒下で静かに息を引き取った。村人たちは深い悲しみに暮れ、子供たちは泣きじゃくり、長老たちは「この猫の魂を慰めねばならん」と相談した。そこで、村人たちは力を合わせて、米蔵のそばに小さな石の祠を建てたんじゃ。石工の平助が心を込めて彫ったその地蔵は、普通の地蔵とは違い、足元に小さな猫の姿が刻まれておった。村人たちはその地蔵を「猫地蔵」と呼び、米の安全と豊作を祈る場所とした。


それからというもの、不思議なことに、猫地蔵の祠の周りではネズミの姿がぱったりと見なくなった。村人たちは「猫地蔵さんが守ってくれておる」と信じ、毎年、収穫の終わりに猫地蔵に米や魚を供え、感謝の祈りを捧げた。子供たちは地蔵の周りで歌を歌い、若い娘たちは猫地蔵に豊作を願って花を手向けた。ある年、村が大雨で稲が心配された時も、猫地蔵に祈った翌日に晴れ間が広がり、立派な米が実ったという話も残っておる。


時は流れ、米蔵の跡地の近くには、ひっそりと猫地蔵の祠が残っておる。苔むした石に刻まれた猫の姿は、昔と変わらず村を見守っておるよ。猫地蔵に手を合わせ、「米を守ってくれてありがとう」とつぶやくんじゃ。ほぉ、そなたもいつか琵琶湖のほとりを訪れることがあれば、猫地蔵に会いに行ってみなされ。きっと、湖の風と一緒に、あの賢い猫の魂がそなたを迎えてくれるじゃろうて。

 
 
 

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